2001年11月12日午前9時15分、乗員乗客260名を乗せたアメリカン航空587便(エアバスA300-600)は、ドミニカ・サントドミンゴへ向けてジョン・F・ケネディ国際空港を飛び立った。
離陸直後、587便に1度目の乱気流(墜落の約28秒前)が襲いかかる。そして機体の姿勢を整えようとする中、さらに追い打ちをかけるように2度目の乱気流(墜落の約8秒前)が同機を襲った。
同機は急激な機体操作により垂直尾翼の折損、機体を左に傾け急旋回しながら急降下し、9時17分にケネディ国際空港近くのニューヨーク市クイーンズ区の住宅街に墜落。乗員乗客260人と地上にいた5人が死亡、16人が負傷した。
この事故は、911アメリカ同時多発テロ事件の2か月後に起きたことから、当初はテロ説が流れ、ニューヨークは大混乱に陥り、アメリカの主要施設には一時厳戒態勢が敷かれた。
墜落事故の原因は、直前に離陸したJAL47便の後方乱気流であったと言われているが、それだけで今回の大事故が発生したとは考えにくく、副操縦士の操縦ミス、エアバス機の欠陥など複数の要因が重なった可能性が高い。また、墜落前に機体から炎が上がっていたという目撃証言も飛び出しており、何らかの爆発があった可能性も否定できず、最終的な結論には至っていない。
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